Blog 大草直子の毎日AMARC

去年、今年。
「家族の今」のお話し
【後編】

長いな、今回のブログ(笑)。別にこの時期に書こうと思っていたわけではないのですが、なんとなく、自分の中ですっきりした感があり。子供たちのいろいろも、落ち着くところに落ち着いた、というのも大きいかもしれません。最後、後編お付き合いください。今度、AMARC RADIO STATIONでも語ろうかな。なかなか、ここまで書けなかったから、子育てやパートナーシップの質問にも、オープンに答えづらかったんですよね。

さて、末っ子のマヤの話。私が一番忙しい時に生まれたので、3人の中で、幼少期過ごす時間が一番短かったのが彼女。チャーリーや実家の両親も、そして妹たちも、子育てに全面協力してくれてはいましたが、私でないとできないこともあったんですよね。ただ、家計を背負っていた時期なこともあって、どうしても仕事を優先にしてしまった。後で思いましたが、それを、言い訳にしていた部分もあったんです。彼女が小学校3年生の時には、寂しさや不安が爆発したようなできごとがいくつかあり、そのまま、かなり早い反抗期に突入しました。

マヤが「一番いて欲しかった時」に戻ることはできなくても、できるタイミングでできることはあるし、信頼関係を取り戻すことはできる、とできるだけ一緒にいるようにしましたが、何せ反抗期に入ってしまったので、関係はぎくしゃくしていました。学校を転校したり、一番心地良くいられるように、と心を砕いたつもりでしたが、今になると、彼女を不安にしていたのは、「環境」ではない。やっぱり親との「関係」だったな、と思います。まあ、色々ありました。毎回、挑戦状なのか果たし状なのか、突きつけられている気がしてしまいましたが、ほかでもない、彼女が叫んでいたのは、「Do you really love me?」だった。でも、それも、今だから言えるんですが。渦中は、「できごと」に目が行くのと、正直「こんなにやっているのに」という、エゴもある。

1年のアメリカ留学、その後の離婚の話し合い、反抗期マックスを経て、やっぱり、その答えは、とことん向き合うこと、話し合うこと、でしか見つけられなかった。大喧嘩したことも何度も。私だけが激して、泣き叫ぶことも多々(笑)。学校にも数えきれないほど行きました。同じ誕生日の私たち、似てるんです。ひなこにも言われました「似てるから、ぶつかり合うんだよ」と。あとは、マヤの繊細さと、そして同時にものすごく老成している部分が、今の学校のシステムや、先生方と合わない(笑)。そのストレスも多分にあったのでしょうね。

今、実は祖父母の家から学校に通っています。通いたい学校が自宅からだとかなり遠いのが理由なのですが、結果、ものすごく母娘のリレーションシップが和やかになりました。私は、彼女が小さな頃、細やかに見てあげられなかった負い目がある。だから、「もう離すまい」と躍起になっていたところはあったのですが、離婚に向けての話し合いで、一番感情をむきだしにしたマヤと、毎日毎晩話したことが結果、「なんかむかつくけど、この人絶対逃げ出さないな」という安心感につながったのかもしれませんね。期間限定で離れて暮らしているからこそ、「ありがとう」「嬉しい」という、優しい言葉の渡し合いになっています。あ、それでも時に電話を突然切られたりしますが(笑)。「高校行っても、ばあばたちと住みたいな」といけずなことを言っていますが、結構本音かも。きっと、80歳を超えた老親たちは、「もう、戻りなさい」というかもしれません(笑)。まあ、みんなが楽しく健やかに、笑って暮らしていればそれで良い。今は、心からそう思っています。「自分に嘘つくことなく生きたい」そんな母と父を見て育っている子供たちも、まさにその通り生きています。