Blog 大草直子の毎日AMARC

【短期連載 仕事と私】
第一志望の出版社、最終面接で落ちた後、、、

今日は、ちょっと「私と仕事」について話したいな、と思います。折に触れて、さまざまなインタビューやコラムでご紹介していますが、今年で働き始めて31年目になるので、今一度振り返ってみたいな、と。少し連載が続くことになりそうですが、どうぞ、お付き合いくださいませ。

「ファッション誌の編集者になりたい」中学の卒業文集で書いた言葉。フリーライティングで、みんなそれぞれに様々なことを書いていたと思うのですが、私は「将来の夢」というタイトルで、少しポエミーな(笑)な文章を書きました。なぜか、絵はプーさんが木の上で座っている絵。なんで? よくわからないですよね、15歳の頭の中。実は、この文集の存在をすっかり忘れていて。ある時、附属のみんなで集まった時に「直子は夢を叶えたね」と持って来てくれて、気づいたという顛末。「パン屋さんになりたい」「アイドルになりたい」なんていう子供らしい夢を見た記憶ないので、いきなり現実的なのが、なんか笑ってしまいますね。でも、その時欲しくて欲しくて、叶えたくてしょうがなかった夢と、今も寄り添っていられる。このことに、心から感謝し、記念の今年、改めて身が引き締まる思いでいます。

高校はそのままエスカレーターで進んだので、その後、私の人生の大きな選択としては、大学受験なわけですが、立教大学を第一志望にしたのには理由があります。行きたかった「出版社への就職率が高かった」、あとは、最後のチームプレイができるタイミングだったから、運動部に入りたかった。中高と入った部活は、ダンス部、剣道部(笑)。そう、私、体育の時間以外でチームプレイも球技もしたことがなかったんです。結果、大学でラクロス部に入部するわけですが、その部活とバイト、いろいろの時間を捻出するために、ほとんどの講義が池袋で行われる立教を選んだんです。団塊ジュニア世代の私。子供の数が多かったので、当時の大学は、郊外に新キャンパスを作る時代。都心にいられたのは大きかった! 

こんな感じでラクロスに青春を捧げたのですが、大学2年生の頃からマスコミ塾に通い、同時に、『ヴァンテーヌ』という雑誌に出会い、自分のキャリアのスタート地点のイメージもしっかりできました。リアルに大好きだった一冊だったので、出版元だった婦人画報社(現ハースト婦人画報社)の会社研究(雑誌??)もしっかり終え、就職試験は、順調に進みました。筆記テスト、エッセイ、そして面接。一次面接の担当は、当時は知る由もありませんでしたが『ヴァンテーヌ』編集長だった! ただ、最後の5次試験だったかな、落ちてしまったんです、私。合否が今と違って、封書で届く時代。「ご縁がありませんでした」の文字に、卒倒しそうになったのを覚えています。ただ、色々その後考え、最終試験までいったのだから、来年再度チャレンジしたい、という結論に。

父に「留年したい」とプレゼンをし、無事に通り、(大嫌いだった)会計学の授業を1つ残して、もう一年大学に残ることに決めました。この写真は、友人と鎌倉の銭洗い弁天に行った時のもの。この10日後くらいに、人生が変わることを知らない笑顔です(笑)。そう、12月の末、見覚えのある婦人画報社の封書が自宅に届きました。開けてみると「一度、会社に遊びに来ませか?」????頭の中、?マークでいっぱいですよ。それでも年明け出かけてみたら、なんと。「新雑誌を創刊するので、人が足りません。もしよかったら、入社しませんか?」「行きます、行きたいです!」ともちろん即答。マジでびっくりしました。、私、ギリギリで追加採用されたんです。

問題は、会計学です。昨年は落第ギリギリのC。今年はDで落とそうと決めていたので、必死で毎日勉強しました。教授室にも通い、ほぼ個人指導。けれど、最後にはAで無事クリア! そうして、意気揚々と婦人画報社に入社し、最初の配属先が『ヴァンサンカン』だったのは、ちょっと思惑違いでしたが、まあ、頑張れば『ヴァンテーヌ』に行けるかな、とも思っていたので。ただ、5月には辞めたくなっていた。トイレで泣いた日も。あまりしたことないこの話は、次回! ぜひ読んでくださいね♡