Blog 大草直子の毎日AMARC

【短期連載 仕事と私】
辛い思い出と、『ヴァンテーヌ』デビューの喜びと

前回のブログ、読んでいただけたでしょうか? 私が、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に追加採用された話。まだの方は、ぜひ、プレミアム会員(1ヶ月無料です♡)になっていただいて、お読みくださいね。

はい、では続きね。そう、最初の配属先は『ヴァンサンカン』。斎藤薫さんや光野桃さんなど、錚々たるメンバーが作り上げた、あの、ラグジュアリーマガジンです。先輩お二人は、すでにフリーになられて、もっと広いフィールドで活躍されていましたが、企画会議とかではよくお名前が上がっていましたね。

入社同期は何人いたかな? おそらく12人くらいいたんじゃないでしょうか? 中には料理研究家として有名な「スヌ子」ちゃんや、『ミモレ』で、たくさんの書籍をが大ヒットさせている、松崎育子ちゃんなどなど。みんな、キラキラしたスター軍団。あ、当時は、全員「雑誌やオシャレが好きな、どちらかと言うと、素朴な若者」でした。私を含めて(笑)そう、その中には私が希望していた『ヴァンテーヌ』に行った子もいたので、私自身はちょっぴり残念な思いでしたが、ただ、『ヴァンサンカン』は、本屋さんのラックに入らないほど、広告や別冊などでド級に厚い、すなわち売れている雑誌。もちろん、やる気に満ちていました。

ウンガロのシフォンのワンピースにハイヒールで働く諸先輩たちを眩しく見ながら、ラルフ ローレンで出社していました。朝9時に着き、お茶を入れ、お盆にのせて共用テーブルに。そしてまだまだ、自席でタバコを吸っていた時代。スモーカーの先輩たちの灰皿を片付け、机を拭くのを9時半までに終わらせる、と言うのが、1990年台のルーティーンです。さらに、局長の部屋も、同じフロアにあったので、そこも軽く掃除し、炭酸水、そしてスティルの水を、冷蔵庫に補充。ここまでが、新人、そして「女性の」私の仕事でした。今では考えられないくらい、クラシックな習慣ですよね。そして新人は、お使いや電話番、靴の底張りなどに従事するわけですが、そんなことも含めて、とにかく雑誌の仕事ができるのが楽しくてしょうがなかった! 

ただ、入社直後から、ちょっぴり気になっていたことが。どうやら、とある先輩に嫌われたようで。あからさまに無視をされたり、いわれのないことで怒られたり、嫌味を言われたり。初めて書くことですが、正直、随分とこたえました。見ていた優しい先輩からは「毎年、誰かがそうやってターゲットになるから気にしないで」と教えてもらった時は、逆に暗澹たる思いになりました。だって、仕事の評価ではないですから。

小学生の頃、いじめが原因で半年不登校だったこともあったので、そのトラウマがまた蘇ってしまったんですよね。新しい環境、そして生活リズムに慣れないストレスもあり、とある残業で遅かった夜、あまりに辛くてトイレで泣いてしまったんです。その後、会社に行くのが怖くなってしまい、真剣に辞めることを考えました。大学を留年までして入りたかった会社ですが、恐怖の方が先に立ってしまい、日曜日の夜は、しんどくてしんどくてしょうがなかった。同期にもあまり話せず、当時付き合っていたボーイフレンドに聞いてもらったのを覚えています。これを書いている今でも、思い出すと胸がチクっとします…。

そんな数ヶ月を過ごし、辞めるか残るか逡巡していた9月。局長の部屋に呼ばれ、入ると「大草はどこに行きたいんだ?」と聞かれ「ヴァンテーヌです!」と答えたら、なんと、本配属が『ヴァンテーヌ』に! WOW。こんなことってあるんだ。局長の予定や体調を見て、せっせとお弁当を買いに行ったり、お茶の種類を使い分けていたのが良かったのか(笑)。そうして、無事に辞めずに、希望していた部署に行くことになりました。そこで学んださまざまなこと、マナーやプロトコール、謝罪に行く時のお手土産の買い方など。本当に本当に豊かな時間を過ごさせてもらいました。そのことは、また次回。この調子だと、今にたどり着くまで10回は必要。皆さんが、もう良いよ、とおっしゃるなら途中で打ち切ります(笑)。ぜひ、AMARCのインスタなどで教えてください。

そうそう、泣きたいほどの記憶ですが、その『ヴァンサンカン』の数ヶ月で私が教えてもらったことは、「私は、絶対に意地悪しない」です。いや、真面目に。まだドキドキしている新人のライターさんや、失敗が続くカメラマンのアシスタントさん。彼らが萎縮しないように、今日の思い出が「辛い現場だった」にならないように、心を配っているつもりです。辞めることまで考えたあの時期、やっぱり今の私を導いてくれてはいるんですよね。あって良かった、とは言いませんが、意味はあった、とは思っています♡