Life style今日も一日おつかれさま

無功徳

現代の私たちは「何者かになりたい」「何かを掴みたい、手に入れたい」という目的思考にすっかり慣れてしまっているので、「何もないよ」と言われても、拍子抜けしてしまいますよね。やった先に何もないなら、なぜしなければならないのかと。

禅には「無功徳」という言葉があります。

梁の武帝が「私はこれまで多くの仏塔を建立し、経文を写し、僧侶に施しをしてきた。このように仏教のために施してきた沢山のことはどんな功徳があるか?」と尋ねたのに対し、達磨大師は「無功徳」、つまり何の功徳もないと言い放ったそうです。

しかし、考えてみれば、「何者かになりたい」「何かを手に入れたい」という目的を持つことは、同時に「今の私には足りないものがある」「今の私は不完全な存在である」と、自分で自分に呪いをかけているようなものです。

ああしたい、こうしたい、あれが欲しい、これが欲しいと、再現なく求め続ける心そのものが苦を生んでいることを、達磨大師は教えてくれたのかもしれません。



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