Blog 大草直子の毎日AMARC

3月11日のあの日、
私は雑誌のリース中でした

3月11日です。「あの日」から、15年が経ったなんて。びっくりです。それぞれが思うこと、振り返ること、今でも持ち続けている感情があると思います。

ちょうど、東京でも大きく揺れた時、『Grazia』のリースで、私はハイエースに乗っていました。青葉台のとあるアパレル会社の近くで、アポイントの時間が来るのを待っていたのです。突然、目の前の住宅の前の木が大きく揺れ、中から、外国人の住人が飛び出してきました。車は止まっていたのですが、最初地震とは思わず、ロケバスさんと顔を見合わせました。今ほど、携帯(そもそもスマホだったのかな?)で状況を確認する、みたいな習慣もなかったので、何が起きたかよくわからず、そのまま予定のアポイントに出かけたら。なんと、その会社から、社員が黄色いヘルメットをかぶって避難してくるではありませんか。ちょうどプレスを見つけたので、呑気に「あれ、アポイントは?」と聞いたら、「大草さん、大変な地震があって、全社員避難の指示が出ています」と。そこでようやく事態を飲み込めたのですが、次のアポイントには向かったんですよね。まだ、俯瞰で判断できなかったので。

渋谷駅を通った時に、電車が止まり、多くの人が溢れているのを見て、すぐに「これは大変なことが起きている」と気づき、「ごめん、家まで送ってください」と頼みました。というのも、子供たち3人を迎えに行かなきゃいけなかったので。普段1時間以内で行けるところ、ただ、すぐに出たのでそこまで渋滞には巻き込まれず、2時間半くらいで到着し、1人1人ピックアップできました。(その後、道路は大渋滞)リオは幼稚園、マヤはまだ生後6か月で保育園に。ひなこはたまたま、私の妹の家(マヤの保育園の真横)にいたので、誰一人、路上で迷うことなく、私自身で迎えることができました。

そして、すぐにコンビニに向かい、乾麺や水を買い、ロケバスさんにも渡しました。彼も、私の自宅の近くに住んでいたので、本当に助かりました。チャーリーは勤務先から帰宅できず、当時働いていた私の両親も、それぞれ別のところで一夜を明かし、やっとみんなで顔を合わせた時には、心から安堵したのを覚えています。

その後、私たちがやっている仕事の意味、家族の在り方、母の教え、ご近所の優しさ、そして、私自身の足りていないこと。本当に、深く考えることになりました。

あの東日本大震災でお亡くなりになった方を心から悼むと同時に、ご家族を亡くされた方、生き方を変えざるをえなかった方に心を寄せ、今日は、いつも以上に丁寧に過ごしたいと思います。