
ビキニを着て、ビーチにごろんと寝転び、水(も飲んでますよ(笑))代わりにビールを飲んで。昼寝して本を読んで。「良い年してビキニなんて」「肌に悪いのに日焼けして」「昼から飲んで」と、眉を顰める人は、メキシコにはいません。
老いも若きも、男性も女性も、それに当てはまらない人たちも。思い思いに休暇を楽しみ、この2年強、「他と同じ」を押し付けられてきた居心地の悪さを、発散させているようです。それだけじゃなくて、海外のビーチにいると。たっぷりと豊満な人も、カリッと細い人も。肌がダークな人も、ライトな人も。その中にいる、ただ1人の自分しか見ていないようで、とても楽な気持ちになります。私は今年50歳の、日焼け好きな。日系のアジア人ぽい、コンパクトな身体の持ち主ですが、そのことに全く意識を払う人はいないのです。さらに、少し俯瞰で世界を見ることができて、人と較べたりすることなく、自分にぐっとスコープが向くのが、心から好きです。「自分で良かった」ってね。
脚が長く、顔は小さく、髪の質感が素敵で、目鼻立ちがはっきりしているいわゆる「バービー的な外人になりたかった」と思わないのは、50年の鍛錬でしょうか。はっきり言って、20代の頃は、他の誰かになりたかったし、もっていないものが欲しかった。けれどそれが意味のないことだと気づいた時、心から楽になれたので、AMARCでも折に触れて伝えるようにしています。

美白、という言葉も、少し違和感があるの。
白肌が美しい、それはわかる。けれど、限定しないでほしい。テラコッタ肌だって美しいんだよ。シミやしわが全くない滑らかな肌もきれい。太陽に向き合うリスクも負いながら、自由を謳歌する肌だってきれい。「なりたい肌」も「なりたい自分」も、自分が選んで良いのです。自分がもつ価値観、信じる美意識、愛するテイストに、もっとフォーカスしましょう。「美しい白肌」にはまらない、はまれない自分を責めなくても良いし、白肌派とテラコッタ派、お互いに忌み嫌わなくても良い。私が今まで恋に落ちた男性は、そんなことを私に強要する人はいなかった、それも幸せだ(笑)。
あと、ずっと気になっていたんだけれど。黄みを帯びた、ブルー味を帯びた――もちろん、事実としてそれはあるけれど、あまり囚われなくて良いと思うのよね。オータムカラーとか骨格ウェーブとかもそう。いくつかに分けたカテゴリーに、複雑で繊細な自分がはまるわけがないんだもの。
「なりたい自分」、自分で決めて良い。
メキシコは、いつも私の気持ちを目を開いてくれる。